K-21
漢 字 喜 遊 病
加 藤 良 一
2006年6月3日
大 使 「また、通じが止まりました。」
主治医 「いつも申し上げていますが、繊維の多い野菜をもっと召しあがって下さい。繊維を……つまり、線を一本でもふやしませんと大使は大便になりませんので……。や、これは失礼。」
なんだ、つまんない話だと思うなかれ、これでもレッキとした詩なのである。とは言うものの作者には申しわけないが、この詩はほんのお遊びていどのものとしか受けとれないが…。
実は、この詩は詩人の吉野弘さんが書いたもので、タイトルは「使と便」である。吉野弘さんはことのほか漢字遊びがお好きなようで、漢字を分解したり、似たもの同士をくらべたりしながらイメージをどんどん膨らませて詩にしてしまう。
「使と便」を引用したのは、文字としての漢字の面白さについて詩作という角度から考えてみたかったからである。漢字は、文字一つひとつに一定の意味がある。これを表意文字というのはよく知られていると思う。ある面でビジュアル性も備えている。古代エジプトの象形文字なども原始的ではあるが同じような文字である。
たとえば、「水」に関係している文字には「さんずい」がつくことが多い。そこで、たとえ見たことがない文字に出くわしたとしても、「さんずい」がついていれば何となく水と関連させてイメージできるということがある。これは情報伝達機能という観点からするとたいへん興味深い。対象的なのがアルファベットで、それはAやHなど個々の文字には漢字にみられるような個別の意味合いはなく、他の文字と組み合わさってはじめて一つの意味を持つようになる。
漢字はビジュアル性からすると、文字というよりはむしろ絵に近いのではないかとすら思われる。その反面、意味が対応している分だけ必然的に文字の数が多くなるのがデメリットといえばデメリットだが、それだけ表現の幅が広がるというものである。
吉野弘さんの作品でもつぎに紹介する「浄」は、漢字遊びとはいえない観察眼と発想、連想の豊かさが光っている。たった一文字の漢字が、水を浄化する自然の営み、水資源利用のためのダム、そしてそれが及ぼす人間社会への影響、これだけの展開を見せる。
浄
流れる水は
いつも自分と争っている。
それが浄化のダイナミックス。
溜り水の透明は
沈殿物の上澄み、紛いの清浄。
河をせきとめたダム。
その水は澄んで死ぬ。
ダムの安逸から放たれてくる水は
土地を肥やす力がないと
農に携かわる人々が嘆くそうだ。
吉野さんの他にも漢字遊びが好きな詩人はけっこういるようだ。たまたま私の身近な詩人も漢字遊びが好きなようである。本職は音楽家だから日曜詩人とでもいうべきだろうが、最近処女詩集『浮く』を出された酒井清さんも漢字遊び詩をよく書いている。その中のひとつ「優」という文字に触発されて書いた詩を紹介しよう。
優
憂(うれ)える人と書いて「優」
ならば優秀な人とは
憂えることに秀でた人
それが優(すぐ)れた優(まさ)れる人
自己を憂え 人心を憂え 国家を憂え
悩み抜く人
それが優しい人
酒井さんは、吉野さんの詩に感銘を受け、それをモチーフとして採り入れた形跡がみられる。たぶん吉野さんの漢字喜遊病に感染したに違いないが、習作としては面白いものができたのではないか。ただし、冒頭から説明的になりすぎているのはあまり感心しない。また、三行目の「憂えることに秀でた人」というくだりは、いくぶん無理な表現となってしまったが、自己を、人心を、そして国家を憂え、悩み抜く人が「優しい人」と結んだのはよかった。
吉野さんは、大正15年生まれ、山形県酒田町出身、昭和32年自家版『消息』を初版100部で出版、昭和46年読売文学賞受賞『感傷旅行』(葡萄社)、昭和52年『北入曽』(青土社)を出版している。随筆集『酔生夢詩』に「漢字喜遊病」の症状報告として漢字との戯れについて次のように書いている。「自分が書くものが詩であるかどうか、いつもわからぬまま、詩のようなものを書いている──そういう私が「詩を作る」ことについて語るのは恥知らずもいいところですが、今は観念して、自作詩をヒネっているときのモタつきぶりを、以下に少し書いてみます。」
短詩「畢」(おわり)を例にとって、詩ができあがるまでの一連の手続きというか試行錯誤の過程を紹介していて、とても興味深い。
畢
「畢」(おわり)、猶(なお)
「華」(はな)の面影残すかな
「畢」を書くきっかけは、「畢」の中に「華」の幻影を見たことで、「畢」を告げられながら、猶その中に「華」の名残を留めていることが、それが侘しくもあり典雅にも思われた。しかし、そのときはこの二文字を大きくメモっただけに終わった。そして、メモのことも忘れて一年ほど経った何かの折にそれを見つけ、あらためて次のように書きはじめた。
もう畢(おわ)りですが
少し前までは華だったような気がしています
しかし、これでは納得できず何度も書き直し続けて、次のような詩になった。
「畢」感傷
私は「畢」ですが
ひととき「華」だったこともあると
無理に思おうとしています
さらに、
「畢」が、自分の中に
「華」を探しています
また手を加えて
自分の中に
「畢」のひとときがあったという思いを
「華」は捨て切れずにいます
数日後には、
「畢」の中に
「華」のようなものをチラと見るわびしさ
これでよしとしたが、翌々日、<わびしさ>と言い切ることで「畢」の中の仄かな艶が排除されてしまうのが気に入らず、また、<華のようなもの>が間延びしていることが嫌になってしまった。このとき、芭蕉の『奥の細道』に出てくる句「まゆはきを俤(おもかげ)にして紅粉(べに)の花」に想いが至った。この句は尾花沢から立石寺への旅中の作であるが、ここに出てくる「俤」を不意に思い出し、芭蕉の語感の確かさをあらためて思い知ったことに触発され、
「畢」るとも
「華」の面影宿すかな
翌日、さらに手を加え、ついに最初に示した二行詩となって完成した。
このようにしてみると、たったの二行にしか過ぎない短い詩ではあるが、着手から一年以上もあとにようやく仕上げられている。詩は、あっという間に出来上がってしまうよりも、むしろ主題を着想してもすぐに手をつけずに寝かせることのほうが多いのではないだろうか。そうすることで、無意識のうちに熟成し、あらためて取り出したときに、展開、発展させやすいのかもしれない。